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あの時の気持ちが星座のようにこころに巡ってきた

  • 執筆者の写真: Yumeto Ogawa
    Yumeto Ogawa
  • 11月12日
  • 読了時間: 3分

小学校3年くらいのとき、地元の大きな図書館の周りには青々とした芝生があった

その芝生に寝転がって空を見上げたら、あいにくの曇天だった

でも雲がすごく近くに感じたし、あの空は落っこちて来そうだと思った


それからすぐ、学校で詩を書く機会があって図書館の芝生で見た空のことを考えながら詩を書いた


その年の文集に、何故か私の詩が載っていた

なんで載っているのか分からなかったけど嬉しい気持ちになって、同級生に聞いたけどフーンと無関心で何も教えてくれなかった


親に話した気がするけど、特に何も言われなかった


当時の私は絵を描いて褒められることはあったかもしれなかったけど、言葉を綴って褒められたことはなかった


だから私の空の詩が文集に載ったことも、大したことはなかったんだと思って忘れていた



30年以上、私はそのときの気持ちと向き合っていなかった


なのに今朝、ふとそのことを思い出した


途端に涙が止まらなくなってどうにもならなくなった


私はあのとき、自分にとってとても大切な表現方法を自ら潰していたことに気づいてしまったからだと思う


周りに対する怒りもあると思う

でもそれ以上に思い出せてよかったと安心した




その日から不思議と「ことばを大切にしたい」と思うようになった


私はだいぶ長い時間を漫画を描くことだけのために生きていた


少しでも漫画表現の肥やしにしようと本を読むことがほとんどで、その言葉の真意であるとか作者の経験とか気持ちであるとか、 大切に読んでいるつもりだったけれどぜんぜん咀嚼できていなかったと反省した


ばくばくと貪るように好きな部分だけをこそげ取って口に頬張っているようなイメージだ


過去の自分を省みて

それって、栄養になってるのかな?なってないんじゃない?と自問自答している


食べものだけじゃないんだと感じた


視覚、聴覚、触覚、味覚、あとなんだっけ


こういうものを持って生きているけど

すべてに貧しい感性で生きていたのかも知れない


もしかして昔の自分は受け止めたり栄養にする努力をしていたのかもな、と少し感心した


詩を書くという表現、思えば漫画を描いても「詩的だ」とか「叙情的だ」と言われ続けてきた



漫画を描きたくない訳じゃないけれど

今はもっと他のことがしたくて仕方ない


色を塗るのが苦手だけど、夢の風景のようや色をたくさん使った絵を描いてみたい


ことばを大事にして、無責任に発するんじゃなくて 私なりに丁寧に選んで表現したい


他にも、版画をやってみたいな、とか



その区切りとして、サイトをまっさらにしてみた


できるかな、わからないな、でもまあいっか、やりたいんだもの


ちょっとゆらゆらしてるけど

わくわくしてる


頑張ってみます















 
 
 

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